日本を飛び出し世界の街で暮らす人々。異国の地でどのように暮らし、何を想うのか。彼らの言葉から、新しい土地で自分らしく生きるヒントを見つけよう。

学生時代の憧れを実現

大学の在学時は文学部で東南アジアの歴史を学び、さらに卒業論文ではベトナムの民話学を発表するほどのアジア好き。アルバイトで貯めたお金は、すべて東南アジア旅行の旅費に回していて、「20代のうちに一度は東南アジアへの移住を」と漠然とした想いを胸に、2011年26歳のときにベトナムに移住を果たしました。ベトナムに移住を決めたのは、卒論を書くためにたびたび訪れていたからという、比較的安易な理由でした。

ともあれせっかく海外に移住したのだから、「スーツを着る生活とはさよなら」をモットーに、フリーランスで旅行記事の執筆を開始したのは同年の8月のこと。現在は旅行業に留まらず、海外ビジネスやライフスタイルなど、ベトナムに関連するあらゆる記事を執筆するまでに至りました。

仕事は個人事業のため、いうなれば自由業であり、自宅が職場。家事や育児をベトナム人の妻と協力しあうことができるのは、フリーで働く私にとってのささやかな喜び。日本では会社員として営業職に従事し、毎日が残業続きでした。一方で現在のように「職場にとらわれず、働きたいときに働く」ことが可能となったのは、自分の人生にとって大きな転機でもあったと思います。

都市化にともない屋台が消えていく心配もしているが、いまのところそんな気配はない。だってベトナム人みんなが屋台が好きだから
ビル群を背後にローカルな時間を満喫。ベトナムらしいひととき

人と町の成長を感じる10年

2020年時点で移住してから早10年。日本では10年前と今を比較すると、大きな変化は見られません。しかし、ベトナムではまるで一つの時代が変わったかのような変化を見ることができます。10年前といえば、近代的なショッピングセンターができたばかりで、人々はエスカレーターに乗るのを怖がっていたり、外国食に対して物珍しそうな視線をおくっていた時代。しかし、今となってはそれも遠い昔のよう。ベトナムに暮らしていると、時代の急激な変化を肌で実感することができます。

私が暮らすホーチミンの9区は、市内中心部から車で20分ほど東へ走ったローカルなエリア。通りを歩けば個人商店が幅を利かせて、お客に対していつも気さくに声をかけてくれる風景は、日本の古き良き昭和のようでもあります。夕暮れどきになると、妻と市場へ買い物にでかけて、その日の食材を調達するのが日課。バイク天国のベトナムでは、バイクにまたがったまま買い物をすることができるんです。ときには食堂で一杯150円のフォーを食べることもあれば、屋台で鴨肉を一羽丸ごと食らいつくことも。日本人からすると、「うっ」としてしまう小汚い食堂も10年も住んでいれば慣れてしまうから不思議です。

屋台や食堂と、どこでも食べることができるフォーは代表的なベトナム料理

斜に構えるくらいがちょうどいい

ベトナムは1975年に15年続いたベトナム戦争がようやく終わり、南北統一後、現在の社会主義共和国が誕生しました。それからまだ35年しかたっていません。町の発展が本格的に始まったのは、市場開放を謳った1986年のドイモイ政策以降なので、人も町もまだまだ未熟なところが多く、不衛生な食堂やお店の接客態度、バイクのマナー違反など挙げたらキリがありません。うんざりすることもあれば、現地人と口喧嘩することも少なくありません。

ベトナムで暮らしていると、ベトナム人や日本人から「なんで10年も暮らしているんだ?」と色眼鏡で見られることもありますし、自分でも「なんでだろう」と考えることがあります。それでもベトナムに住み続けることができるのは、そんなベトナム人に対して、ある種の愛嬌のようなものを感じているからでしょう。これからも生あたたかい目で見守りつつ、彼らと肩を並べてとっぷりとベトナムライフを満喫していければと考えています。

ホーチミン事情

ベトナムきっての商業都市であり、文化・経済の中心地。フランス統治時代に建てられた瀟洒なコロニアル建築が残り、“東洋のパリ”とも称される。いまなお経済成長が続き、高層ビルが次々と建造される一方で、街なかには無数のバイクが走り、生活雑貨店や食料品店がひしめくローカルな市場が点在。アジアの街らしい熱気と活気にあふれている。


Profile

古川悠紀(ふるかわ・ゆうき)

2011年よりベトナムのホーチミンに在住。フリーライターとして海外旅行・生活・ビジネス記事を手がける。ベトナムローカルに溶け込んだ現地情報が得意。著書『ベトナムとビジネスをするための鉄則55』(アルク)のほか、トラベルガイドブックに多数寄稿。