山と海、西日本と東日本、さまざまな魅力を持つ新潟県糸魚川市。
このまちで、空き家を売買するのに躊躇してしまうような高齢者たちにも
安心して取引できる機会を提供している〈いえかつ糸魚川〉。
事務局長を務める伊井俊朗さんにお話を伺いました。
取材・文/山﨑隆一 写真/阿部雄介
糸魚川DATA
人口 4万179人(2022年5月1日現在)
面積 746.2 km²
概要 新潟県の西端に位置し、西は富山県、南は長野県と接しています。国石のヒスイの産地として有名で、多様な海産物もフォッサマグナなどの大地の恵みです。北陸新幹線開通後は東京から約2時間とアクセスも向上しました。
海も山もある! 日本を東西に分ける糸魚川
東京から新幹線に乗って約2時間。長いトンネルを抜けると、右手(北)に日本海、左に雪を被った2000メートル級の山々が迫り、その壮大な景観を見ると、思わず胸が高鳴ります。
糸魚川市は、東西に長い新潟県の西端に位置し、富山県と境を接しています。同市には東日本と西日本を分ける「糸魚川―静岡構造線」が走っていて、昨年には人気テレビ番組で紹介されたこともあり、付近を散策する観光客も後を絶たないそうです。
「東日本と西日本では電気の周波数が変わるから、市内では双方の電気の周波数が混在しているんですよ。信じられますか?」と優しく笑うのは、一般社団法人空き家活用ネットワーク糸魚川(通称〈いえかつ糸魚川〉)の事務局長を務める伊井俊朗さん。高校卒業後、ずっと東京で過ごしていたけれど、2016年にUターン。当時は「特に何もするつもりはなかった」といいますが、地元にいる同世代の人たちは皆相応の立場になっていました。その中のひとりに市の職員がいて、彼に〈いえかつ糸魚川〉の運営をやってくれないか、と打診されたのが、現在の職に就いたきっかけだったそうです。
〈いえかつ糸魚川〉は、不動産業者やリフォーム事業者、金融機関をはじめとする糸魚川の企業が会員となり、会費を出し合って運営する空き家・空き店舗バンク。ウェブサイトを覗くと、地域別の空き家・空き店舗の情報に加え、会員企業や市の各種補助金に関する情報も一覧できるようになっています。物件の紹介は豊富な写真に加え、動画を利用して物件だけでなく近隣の様子も窺えるように配慮されていて、サイト全体の雰囲気も明るくて親しみやすさを感じさせます。
地元企業と市がともに作りあげた空き家・空き店舗バンク
以前は自治体が空き家バンクを管理していましたが、登録件数や成約件数も伸び悩んでいたのが実情だったそう。
「いっぽうで、商工会議所では空き店舗の利活用に関して悩みを抱えていました」とは、糸魚川市企画定住課の山田憲彦さん。
「そこで、市と商工会議所が共同で双方の問題を解決するためのプラットフォームとして、〈いえかつ糸魚川〉を立ち上げました」
そして、山田さんとともに市のスタッフとして伊井さんを支えているのが、同じ企画定住課の宮路省平さんです。
「7~8年前から地方創生の流れが生まれ、首都圏をはじめとする他地域からの人の流れを促進するため、糸魚川らしいやり方を模索しました。そして生まれた官民一体のプロジェクトが〈いえかつ糸魚川〉なんです」
そうして出来上がった〈いえかつ糸魚川〉のシステム。ただ、それを指揮し、全体を取りまとめる人間がいませんでした。そこに収まった最後のピースともいえるのが伊井さんだったわけです。
「現在の糸魚川市は、2005年の市町合併で、旧糸魚川市と東の能生町、西の青海町が合併して出来ました。私は青海の出身で、ほかの地域のことは全然知らなかったので、〈いえかつ糸魚川〉に関わることが、地元のことを改めて知るいい機会になるな、と思いました」
新幹線の窓からも望めるように、糸魚川には海もあれば山もあります。海辺から内陸に少し移動すれば、程なくして山あいの集落が現れてきます。現在の糸魚川市は東西に長いため、地域によって習慣や方言などの文化や、人々の気質も異なるのだといいます。
「私は就職が東京でしたから、最初は地元の企業についてあまり知りませんでした。しかし、空き家や空き店舗を通じて地元の方のお話に耳を傾けることで、地域やコミュニティの特徴をはじめ、さまざまなことを知ることができています」
問い合わせ先
空き家活用ネットワーク糸魚川(通称:いえかつ糸魚川)
HP:https://iekatsu-itoigawa.com/
TEL:025-556-6411
MAIL:iekatsu@orange.ocn.ne.jp
東京から2時間という近さも人気
空き家を持っているのだけど、売買をするにはどうすればいいのかがわからない。不動産業者にも行ったことがない。そんな方の受け皿になることが〈いえかつ糸魚川〉の役割のひとつです。「家主さんには高齢者が多いですからね。不動産会社のことを怖いという方もいらっしゃるんです」と伊井さんは語ります。
「あと、『親の実家が糸魚川にあって、住む人がいなくなって相続した。だけど自分は東京にいるし、家に愛着もない。どうすればいいだろうか?』みたいな相談もあります。売りたい方も買いたい方もざっくばらんに話をしてくれますね」
家を売りたいという相談があると、まず伊井さんが出向いて家の外観、次に屋内の様子をチェックします。空き家の登録料は1万円で、家財についてどうするか等の話も進めていきます(糸魚川市では、空き家の家財道具の処分や現況診断の費用について補助制度が設けられています)。そして内外観の撮影をして、ウェブサイトにアップされます。
「あくまでも家主さんが主体ですから、売却の金額をはじめとする諸々の判断に関しては、こちらからは何も言いません。もちろん、不動産業者をはじめさまざまな企業が会員になっているので、必要な際に紹介することができます」
取材を行ったのは、4月の下旬。豪雪地帯として知られる糸魚川では、ようやく雪がなくなり、空き家の内見が活発化する時期でした。
「冬の間は雪が積もっているから空き家の中に入れないことが多いんですよ。雪は糸魚川と切り離せない要素です。だから物件の紹介ページでも、雪が降ったときの写真をできる限り掲載するようにしています。また、古民家などは雪に耐えるために梁がしっかり作ってあって、内見する方は皆さんびっくりされますね」
冒頭で触れたように、東京から糸魚川までは新幹線で約2時間。関東圏からすぐに来れる時間的距離が大きな魅力です。実際、〈いえかつ糸魚川〉の利用者には東京近郊の方が多いといいます。
「あと、長野や松本方面の方で、セカンドハウスを持ちたいというお客様もいらっしゃいます。地理的に近いので、夏に海水浴や釣り、そして車中泊も楽しむという方が多いんです」
加えて、市内で引っ越しを検討する方がウェブサイトをまめにチェックしているのも〈いえかつ糸魚川〉の大きな特徴なのだとか。「新しい物件をアップさせるとすぐに連絡をくださるお客様もいるぐらい」と伊井さんも驚きを隠せない様子です。「糸魚川とひと口に言っても本当に広いですから、山のほうにお住まいの方が高齢になられて、つらいので街中に出てきたいとか、そんなケースが多いですね」
目標はモデルハウスを作ること
「移住者の方には、せっかく糸魚川にいらっしゃるからには楽しい生活を送ってほしいと思います」と語る伊井さん。話をしていて「この人は移住や糸魚川に向いてないかな」と感じる場合は、思い切って断ることもあるといいます。
「あと、あまりにもお金儲けのことばかりが話の前面に出てくる方とかも厳しいかな、と思います。隣近所と仲良くやっていけないと思うので、それでお断りしたケースもありますよ」
取材中も物件に関する問い合わせが絶えず、内見の予定もどんどん入っていました。そんな中、今後の展望を伊井さんに聞くと「モデルハウスを作りたいですね」とのことです。
「やはり実際の物件を見ると『写真で見るより古いですね』というお客様もいらっしゃいます。モデルハウスがあると、そんな物件が『リフォームされるとこうなるんだ』とか『こんな生活ができるんだ』とイメージしやすくなりますよね。『ここを直すにはいくらぐらいかかりますか?』などと具体的な問い合わせもしやすくなるでしょうし。さまざまな業種がそろう〈いえかつ糸魚川〉の会員企業をより活用していただくことにもつながりますので、ぜひ実現させたいですね」
気軽に移住生活が体験できる古民家、移住体験交流施設「水上」
糸魚川市のほぼ中央を流れる姫川を車で20分ほど上流に向かった根知地区に、昭和8年築の古民家を市が買ってリフォームした移住体験交流施設「水上」があります。
「水上」とは、以前の家主さんがいた頃の屋号で、そのまま施設の名前にしたとのこと。構造がしっかりしているため、リフォームは水回りと、リモートワークができるようにWi-Fiを入れた程度だといいます。1~6人まで利用でき、使用料はなんと無料(6泊7日まで)。糸魚川での暮らしを体験してみたい人は、ぜひ利用してみてはいかがでしょうか。
問い合わせ先
移住体験交流施設「水上」
糸魚川市総務部企画定住課人口減対策係
TEL:025-552-1511
MAIL:kikaku@city.itoigawa.lg.jp
新たにオープンするテレワークスペース「クラブハウス美山」
糸魚川駅から車で10分ほど、フォッサマグナミュージアム、長者ケ原考古館などの博物館やスポーツ施設がある美山公園に、かつてサイクリングターミナルとして使われていた「クラブハウス美山」。このたび建物をリフォームし、テレワークスペースとして生まれ変わりました。貸し切りイベントにも使えるラウンジや、蔵書7千冊を超えるライブラリー「紅梅文庫」も併設しています。糸魚川を訪れた際はぜひ立ち寄ってみては?
問い合わせ先
クラブハウス美山
糸魚川市産業部商工観光課企業支援係
TEL:025-552-1511
MAIL:kigyo@city.itoigawa.lg.jp
移住者インタビュー|今年はホタルイカをとりに行きたい!
お話を伺った人
横尾秀範さん・妙子さん
神奈川県川崎市→新潟県糸魚川市
「ずっと昔、トラックの運転手をやっていたことがあるんだけど、糸魚川を通ったことがあったなぁ。海のそばでカニを売っていたのを憶えていますよ。その頃は自分が糸魚川に住むことになるなんて、思いもしなかったけれど」
そう笑うのは、横尾秀範さん。奥様の妙子さんとともに、2019年に糸魚川にやってきました。その前は30年間、神奈川県川崎市でバスの運転手を務めていたといいます。彼が選んだのは、糸魚川駅から車で10分ほど、今井地区の西川原という集落にある古民家。近くには一級河川姫川が流れていて、少し歩けば山もある。取材の数日前には山でゼンマイを採ってきたそうです。
ずっと田舎暮らしに憧れていて、住居に関する情報も絶えず雑誌等で調べていたという横尾さん。この家を見つけて早速〈いえかつ糸魚川〉に連絡を取り、ほかにも5~6軒を見て回ったとか。
「雪に耐える必要からだけど、どの家も梁が立派だな、と思いました。だけどやはり最初に見たこの家に戻ってきましたね。伊井さんも丁寧に接してくださいました」
実は横尾さんは新潟県旧松代町(現十日町市)の出身。実家は茅葺きの家だったそう。
「大雪の時には、雪の重みで家がギシギシと音をたてていました。つららも早く落とさないと大変なことになる。子どもの頃のそういう体験があるから、糸魚川に来るのも抵抗はありませんでした。この集落には16軒ほどの家がありますが、皆さん良い方ばかりです。偶然にも、私の実家の近くで先生をしていた方もいらっしゃって、びっくりしましたね」
一方、妙子さんは沖縄県石垣島の出身。雪にはとんと縁がありません。
「雪は見るのは好きなんですけれど(笑)、雪かきに関しては主人にまかせっきりなんです。何年か住んで、ようやく寒さにも慣れてきました」
購入した家には、道を挟んで倉庫と畑も付いていて、横尾さんご夫妻は畑でブロッコリーや玉ねぎなども育てています。
「最近は畑が忙しくてなかなかできないけれど、釣りもしたいですね。特に、せっかく糸魚川に来たのにホタルイカを見ていないので、今年はぜひとりに行きたいな、と思います」